さて、今年の夏は七月末には驚くような猛暑が幾日かありましたが、八月に入ると途端にひどい雨続きでした。
真夏の太陽はどこかに隠れてしまったようなおかしな天気がしばらく続き、八月末にやっと忘れていた夏を取り戻したような強い暑さがやってきました。
記念日は海と山の日。それから風と太陽の日
海の日ができた時は子供の頃で、いたく感動したのを覚えています。
今年から山の日なるものができまして。
これは感動より先に、お?っという感じでした。
大人も休みたいのです。
風の日だとか太陽の日も作ればいいと思います。
童話に北風と太陽というお話がありました。
最終的には太陽が勝って、旅人のお洋服を取り去ってしまいます。
子供心に、ふーんと思ったものです。
日本では皆が温泉に行く日を、「風と太陽の日」にするのはどうでしょう。
温泉というのは日本の独特な誇れる文化ですから、年に一度働きすぎな日本人がゆっくり温泉に浸かって体を休ませる。
そういう記念日があっても良いんじゃないでしょうか。
鎌倉湘南、江の島の美しいサーファーたち
まるで夏らしくない夏の合間をぬって、よく晴れた暑い休みの日に鎌倉と江ノ島に行って来ました。
そびえ立つ大仏は、思い出の中で幼い頃大変巨大であった記憶があるのですが、大人になって間近で見ると案外こじんまりとしているように感じるのが不思議でした。
江ノ島電鉄の脇には、海がどこまでもどこまでも、広がっていました。
私は栃木県鹿沼市の内陸生まれ内陸育ちで、海というものはまるで縁がないのです。
海のそばの公道を走らせる自転車に乗ったサーファーの老若男女が、一様に水着姿で涼しそうに通り過ぎていくのは、私は大変新鮮で斬新で、思わず目を奪われました。
これは男性が、ということに限りませんで、よく焼けた肌にひきしまった身体の女性も、なんとも美しいのです。
地元の若い女性たちは、慣れた様子で海から上がったそのままでサーフボードを横に取り付け自転車で走っていきます。色彩豊かな水着とサングラス、長い髪を背中になびかせ、すいすい車道をすり抜けていく。
まるでそれは海を泳ぐ鮮やかな熱帯魚のような眩しさでした。
鍛えられた体つきの60〜70歳くらいの男性もやはり水着姿で、小脇にボードを抱えしっかりとした足取りで横断歩道を渡る姿は、いかにも海の街でした。
東京の交差点でその格好で歩いていたらきっとお巡りさんがやってくるに違いありません。
開放的な人々に囲まれて、白いテラスハウスと海を眺め、気持ちの良い潮風に吹かれていると、いつかここに引っ越してきたい、と思ってしまうのです。
海沿いのハンバーガーとパンケーキのお店
ここは、地元の人にも観光客にも人気があって観光日和はなかなか入れないようです。
海の見えるカフェは窓がすべて開放されていて涼しい潮風が入ってきます。
アイスコーヒーを運ぶ女性の店員さんの笑顔が本当に素晴らしく、私は幸せな気持ちで満たされました。
100万ドルの笑顔とはまさにこのことです。女性の笑顔の力の凄さを感じるのはこういう時だと思います。
一面に広がる海の見える喫茶店で潮の香りに冷たいコーヒーとパンケーキにて、ゆったりとした休日を過ごしました。
八月は雨も多くて、夏の代名詞である花火大会も、幾らか厳しい日があったようです。
九月に入って正午照りつける太陽に再び夏を感じて、私は残暑最後の狂おしい蟬しぐれを聞きながら、少しずつ訪れる秋を待っています。