コラムテーマは「普通によくある病気」が中心
3年半にわたり心臓病関係のコラムを書いてきました。様々なテーマで書きましたが、そのテーマの種類は意外に少なくて限定したものだとお分かりかも知れません。
テーマ選択の基本は、どこでもありふれて数も多い高血圧や心臓の病気とその関連した病気で、普通のクリニックで普通に見かける病気を選ぶことにしてきました。
そんな病気こそ私が長年見てきた多くの患者さんの病気であり、多くの患者さんが誰でもいつも悩む病気であり、多くの人に関心の高い病気であろうと思います。
稀な病気のコラムテーマは避ける
一方、稀にしかなく非常に珍しい病気であれば医師として診断は難しくなりますが、ある意味では興味深い病気です。30年間の医療人生で一人しかいなかったような病気をお話ししても、そんな病気にはほとんどなりませんので、知的好奇心の満足の為だけのコラムになってしまいます。話題として取り上げることは避けています。
しかし当院で数年に一度くらいの珍しさの病気なら時々お話しするつもりです。当院のような普通のクリニックで、普通に見られる、普通程度の病気の重さの心臓病や高血圧を、様々な異なった角度からの切り口でお話しすることを心がけています。
一種類の病気(例えば狭心症)でも、患者さん毎に症状や病態や経過は個性的で多彩です。ありふれた病気でもこの多彩さが病気の診断や治療の難しさにつながります。高血圧や狭心症などは、どこにでもあるありふれた病気でしかありません。しかしその展開は患者さん毎に非常に個性的です。その個性的な側面を整理して患者さんや読者の方にお話し、自分の病気の理解の参考にして欲しいと考えます。
もし中程度の珍しさの病気なら取り上げてみたいと思います。あまり詳しくない説明ですが、それでもその病気の特徴が浮かび上がって分かりやすいように話せたらと思います。
想定する読者は「私の患者さん」
このコラムを書くに当たって私が常に心に留めていることは、私の患者さんに向けて解説する立場です。しかし実際にこのコラムを読んで下さる方は、私の患者さんよりも遙かに多くの方が全国に広がっています。決して私の患者さんだけが読んで下さるわけではないことは理解しています。
そうではあっても私のこの立場は変えないでおこうと考えてきました。なぜなら不特定多数の全国の読者を想定読者にすれば、書く前提がぼやけて焦点が定まらなくなってしまいます。
誰に向かって書いているのか、それがぼやければ当然コラムの明快さも失われるでしょう。私のコラムで医学的には相当大胆に割り切って書けるのも、自分の患者さんに説明するという前提で、焦点が明確になっているからです。
いつも向かい合って診察しお話しし治療している患者さんだからこそ、言えることと省略できることがあります。このコラムを読んで違和感なく理解できると思います。
もし読者を全国の不特定多数に想定すれば、こんな書き方のスタイルでは問題が多いでしょう。お話しする対象の特性があまりに広がりバラバラだからです。
私の書くコラムには大胆な割り切りがあるので、一般の人には分かりやすいのか、逆に分かり難いのか分かりませんが、それは読者の個性によるでしょう。どのような個性や特性を持った読者なのかでコラムの利用価値が違うと思います。
私はそれでいいと思っています。私が想定する読者はあくまで私の患者さんです。全体の読者の中では少数にしかなりませんが、私からは顔が見える読者なのです。
実際的、実用的なコラムを目指す
この立場にこだわって書いてきましたが、多くの読者が飽きずにコラムを読んで下さいます。どのような方なのかは全く分かりません。繰り返し読んで下さる読者は私の患者さんと似たような個性や特性を持つ方ではないかと予想します。中高年の心臓病や高血圧の問題を抱えて、治療しているか治療に直面している方ではないかと想像します。
病気そのものの詳しい解説、検査の詳しい説明、治療法や最先端の研究成果など、最小限にしか話しません。場合によっては全く話しません。
患者さんにとって関心の中心は、自分の病気の本質と、その方に最適な治療法と、今後の病気の展開の予測だと思います。一般的な医療情報はネットで詳しく調べることが出来ます。私に聞かなくても、ある程度は知ることが可能な便利な時代です。
しかし自分の病気の診断名、病気の重さの程度、最適な治療法、今後の経過の予測に関しては、個別的なので自分で調べることは困難です。病気の全貌を理解し把握し解説できるのは、患者さんの病気情報を全て知っている主治医だけです。
患者さんが最も知りたくて期待するのは、やはり自分の病気に関する個人的な医療情報でしょう。私がコラムで書き続けているポイントも、この点で少し利用価値があり実用的であるよう配慮しているつもりです。
病気の個別的な医療情報は患者さんを特定しなければ不可能ですから、コラムでそんな個人的な個別の話が出来るはずがありません。しかしそんな点にも少し配慮したコラムを書くことは不可能ではないと思います。
そのような立場が不特定多数の読者にもなにがしかの有用性をもって受け入れられているのでしょうか。
多くの読者が訪れる事態は当初の予想にはありませんでした。今ではこの状況を理解した上で、それでもよいと思って下さる全国の読者に、少しでも利用価値があるコラムを公開していければと考えています。
突然コラムが書けなくなる日が来る!?
前から何度も書いていますが、コラムを何時まで書けるか私にも分かりません。こんなに長く書けるとは予想していませんでした。100回書くのを大きな目標に書き始めましたので。
それがいつの間にか、全部を書いたのではありませんが300回まで来てしまいました。考えられないほど読者も多くなり、コラムの影響が全国的に多数の人に広がっています。内容の責任の重さを痛感しております。
しかし私のこのスタイルを変えることは出来ません。読者がコラムの限界を十分に理解したうえで利用下さることをお願いしたいと思います(読者へのお願い)。
ある日突然、コラムが書けなくなってしまうかも知れません。その時は申し訳ありませんが、私の体力と気力の限界だったとお許し下さい。