いつものように、そこに・・・
今までいた人が亡くなって、いなくなってしまうということは、不思議でとても悲しいことですね。祖父の顔や声や仕草や言われたことなどを思い出し、それがまるで昨日のことのようであり、そしてもう二度と会えないのだと思うと胸が詰まります。
家族の死はすべての人が通る道ですが、自分にとってはずっと先の「いつか」のことでした。それがこうして我が身に起こり、生まれて初めて例えようのない寂しさに包まれるのを感じました。
私は今でも上田町の祖父の家には、いつもの椅子に腰掛けている祖父が、そこにいるような気がするのです。
シャイで実直。古武士のような人
祖父は、真面目を絵に描いたような、実直誠実で、まっすぐな、竹を割ったような性格の人でした。
決めたことは有言実行でした。そして少々頑固でした。
頑固なのは、どうも高橋家と竹田家ともに通じ、残念ながら私の代まで脈々と受け継いだ血筋と言っていいでしょう。
その反面、祖父にはシャイな一面もあり、気恥ずかしそうに伏し目がちになることもある、古武士のような性格だったと聞きます。
孫の私にはそのような表情はあまり見せることはありませんでしたが、人にはよくそのような顔を見せたそうです。
祖父と家族
父方(けやき坂クリニック院長)の祖父は私の生まれる前に他界していたので、和夫先生がたった一人の身近な祖父でした。佳子先生(当副院長)やその兄弟は、幼少からとても厳しく教育されたようで、「父は大変怖かった」と聞いています。妻の愛子にも、昔ながらの亭主関白な姿を見たものです。
実直真面目で自分の意見を通す祖父といつも穏やかでニコニコ笑顔の祖母のそのコンビは、子供心にとても相性が良かったのではと常々思っていました。二人とも決して口には出しませんでしたが、互いの心の奥にある深い信頼と愛情を、私は感じ取ることができました。夫婦の阿吽の呼吸というものでしょうか。
晩年老人性難聴になった祖父との会話は、もっぱら筆談でした。しかし、祖母の台詞だけはいつも聞きとれるのがなんとも不思議で、さすがと思ったものです。
子供や妻には厳しかった祖父ですが、孫の私には、とても優しかったと思います。私は生前の祖父に一度も怒られた記憶がありません。甘やかされた記憶もありませんが、祖父の静かな優さを感じていました。
私は祖父が大好きでした。成人してからは、時々他の家族にはしないような小さな頼みごとを私にすることがありました。
亡くなる少し前に、「彩子が来るのを待ってた。彩子、髭を剃ってくれ」と、祖父は私に言いました。
私はいつものように、祖父に小さなお願い事をされるのが、とても嬉しかったのです。
異次元神様の勉強論
祖父の口癖は「よくやれよ」と、しっかり勉強しろということ。
祖父は私にシンプルなことしか言いませんでした。
「朝は早く起きろ。学校で一番前の席に座ってよく先生の話を聞け。帰ってきたら、眠くならないよう夕飯より先にその日の復習をして、夕飯を済ませたらすぐに寝ろ」
いつも言われたのは、たったこれだけ。
でも、この簡単なことを守るのは難しいのでした。
このシンプルなことを祖父はずっと続けてきたのでしょう。
努力家で勤勉で、私にとって祖父は、大好きなお祖父様であり、異次元神様だったのです。
タブレットを渡すと、設定言語を好きなドイツ語に変換してしまって、家族の誰も直せなくなったこともありました。
常に頭を使うことを怠らなかったせいで、晩年の祖父の頭部CTで脳の萎縮がほとんどなかったそうです。最期まで祖父は認知症はありませんでした。
これは是非見習いたいところですが、どうしてどうして言うほど簡単ではないですね。
患者さんと祖父
患者さんを治す「医師」の仕事は、祖父にとってまさに天職だったと思います。
それは、祖父にとって生き甲斐であり、楽しみであり、人生のすべてでした。
祖父は雨の日も風の日も、具合の悪い人がいれば、すぐさま患者さんの元に往診に駆けつけました。
夜中でも自分が寝ていようがいまいが関係なく、すぐに走って飛んで行きました。そして、84歳で現役を引退しました。
生涯をかけて、鹿沼のたくさんの患者さんを診察し治療し続けました。
真面目で、勉強熱心で、治療のための勉強を晩年まで決しておろそかにすることはありませんでした。
引退後の祖父は、羽を取られた鳥のように、大変寂しそうにも見えました。
祖父のことを、今でも当院の外来でお話しされる患者さんがいらっしゃいます。
祖父が亡くなった後に、わざわさ挨拶に訪ねて来てくださった患者さんもいらっしゃいました。
その方は涙を流しながら、祖父に50年前に治療してもらったお話を、当院の院長にされたそうです。
さようなら、お祖父様・・・!
このように多くの方々に感謝され惜しまれた祖父に、私たちはお疲れ様と声をかけ、そして祖父は旅立って行きました。天国では、どうぞゆっくり休んでくださいというのが普通かもしれません。
でも私は、天国でも祖父は患者さんを休むことなく夢中で診ている気がしてならないのです。
もしも天国に診療所というものがあるのとすれば、祖父は聞こえるようになった耳で多くの患者さんの声を聞き、一生懸命治療していることでしょう。
生き生きと輝くように、医師という人生をまっとうし、駆け抜けた祖父。
私たちは、その姿を胸に焼き付けました。
私は、少しでも天国の祖父が喜んでくれるようしっかりと生きていかねば、と強く思うのです