2017.01.09 画像が持つ先入観形成の力
コラムを書き始めてこの3月で丸3年が経過します。早いものでもうそんなに書き続けてきたかと少し感傷的になります。
最近しばらくは「閑中余話」に書く余裕がありませんでしたので、ここで書くのも久し振りになりました。今回は記事に添付する一枚の画像についてお話ししてみます。
私のコラムは勿論、佳子先生も彩子先生も、みんなそれぞれその画像にはこだわりを持って選んでいます。我々全員は生来美術的なセンスがあるわけではないので、この画像を自分で作ることはまず無理です(佳子先生は自分で撮影しています)。ですからどうしても世界のネット情報から一枚を拝借せざるを得ません。
私自身でいえば、その一枚の画像を決めるのにかなりの時間をかけているのは事実です。記事を書く時間に近いくらいかけて選択することもあります。
選択した一枚の画像は、自分が表現し伝えたい文章内容に或る種のバイアスをかけることになります。しかしそのバイアスの存在が非常に面白いと内心では思っています。
画像の持つインパクトやイメージが読者に何かの先入観を与えるのですが、どのような内容の先入観となるか私自身が想像しながら選んでいます。
3年間の記事と画像の組み合わせを振り返ってみますと、そこに或る傾向が見えるようにも思えます。心理学専門家なら、その画像の選択傾向から私の深層心理を分析されるかもしれません。
読者のイメージ形成を想像しながら、楽しくトップ画像を選択しています
私の画像選択で一つだけ確かなのは、それを見て読者が少しでも楽しい、面白い、愉快、心豊か、穏やか、幸せ、ホッとする、ほほ笑ましい、心地よい気持ちになる画像を選択の基準にしていることです。不快で、不潔で、不愉快な、嫌な気分になるような画像は極力避けるようにしています。
選んだ画像によって、読者がどの様なイメージや先入観を持つことになるのか、私には確かめようがありませんが、想像することは可能です。先日ある中年の女性患者さんが「ここのホームページの写真は綺麗だからいいです」と褒めて下さいました。全体の印象を一言で表したのでしょうが、期待していたありがたい言葉でした。
つい最近思ったのですが、毎週の苦行であるコラム作成作業の中で、これを想像する行為そのものが私にとって一種の励みになっているようです。個人的にそれを楽しんでいるのかもしれないと思います。
こんなことに楽しみを見出しながら、コラムを作り続けています。
今年が皆様にとって良い年になるようお祈りいたします。そして十分に期待できるような世界の政治金融情勢になりつつあるようです。今年はきっと世界が素晴らしい一年になるでしょう。