これからのお話しは、心不全や心房細動の治療に使われる強心薬ジギタリス(薬品名ジゴキシン)について、私の個人的な思いを少し詳しく皆さんにお話ししたいと思います。
ジギタリス(ジゴキシン)は心臓の薬として善悪二重の顔を持った不思議で奇妙な薬です。あたかも「ジキルとハイド」のように・・
私の患者さんにも分かり易いよう科学推理記事風に書いたつもりですが、それでも専門的内容でかなり難しいお話しになってしまいました。こんな話題にあまり興味がない方はスキップして下さい。
これからのお話しは、心不全や心房細動の治療に使われる強心薬ジギタリス(薬品名ジゴキシン)について、私の個人的な思いを少し詳しく皆さんにお話ししたいと思います。
ジギタリス(ジゴキシン)は心臓の薬として善悪二重の顔を持った不思議で奇妙な薬です。あたかも「ジキルとハイド」のように・・
私の患者さんにも分かり易いよう科学推理記事風に書いたつもりですが、それでも専門的内容でかなり難しいお話しになってしまいました。こんな話題にあまり興味がない方はスキップして下さい。
ジギタリスは200年以上前から使われる非常に古い薬ですが、心不全に効くのか効かないのか、いまだに論争が続いています。効くとしても、どのようなメカニズムで効くのか未だ明確ではないのです。大変不思議で興味深い薬です。私はジギタリスは慢性の心不全に効果ありとする立場でこの薬を患者さんに使っています。そして効いているとの感触を持っています。
慢性心不全を治療する標準的方法がいくつか手に入った現在、医師は当たり前のように日々その治療法で多くの患者さんを治しています。しかしよく考えると、古くから使われるジギタリスでさえも慢性心不全治療でどのような役割を演じているのか十分に解明されていないのです。
一昔前まで心不全には完全禁忌で使っていけなかったベータ遮断薬が、今は当然のように治療に使われて効果を上げています。イギリスの医学雑誌に掲載されたその最初の報告はあまりの非常識さと意外性に呆れて心臓専門医からはしばらく無視されたものでした。
内科的治療で十分な効果が得られない重症な慢性心不全には両心室ペーシングのペースメーカーを植え込みます。確立したこの二つの標準的治療法も、その効果の薬理学的、生理学的機序は十分解明されたとまだ言えないと思います。
大方が有効性を予想し期待した新開発の強心薬群でしたが、実際にはその多くが急性心不全とは対照的に、慢性心不全では逆の効果であったのは驚きでした。しかしこの理由もまた十分に解明されたとは言えないと思います。
以上のように、急性心不全と違い慢性心不全の治療メカニズムは謎が多くまだまだ混沌とした世界だと私は認識しています。慢性心不全をうまく治療できる臨床的な手段が数多く見つかったことと、その治療メカニズムが解明されたこととは同じでありません。
現在効果が認められている主要な治療法は、ある原則から演繹的に狙った研究で発見されたというわけでなく偶然に発見された産物です。そしてその共通の理由は分かっていません。
この謎解きは非常に興味深くワクワクするほどです。心臓生理学と心臓病学に残された未解決の巨大テーマであると思います。心臓生理学研究者や臨床研究者は精力的にこの謎解きに取り組んでいると思います。今から20年から30年前に、私もその研究に参加して少しばかりの研究結果を残しました。研究生活の最後にその成果をまとめて一冊の本にして出版しました(心臓の活性化理論と心不全、文光堂)。
慢性心不全の治療メカニズムが早く全面的に解明されることを期待しています。
心不全が急性であれ慢性であれ、現代はその治療手段の選択肢が数多くあります。こんな時代に、注射薬でも内服薬でも切れ味が悪く、効くのか効かないのか論争中で、血中濃度を測りながらジギタリス中毒の副作用を心配しなければいけなかったりと、反応の鈍い不便な古臭いジギタリス(薬品名:ジゴキシン)を使う必要性はあまり感じないと言わざるを得ません。第一線で中心となって活躍する若き多忙な循環器専門医には、このジギタリスという薬はもう忘れ去られているかも知れません。
ジギタリスを現実の臨床の中で今でも使い続けている古い循環器内科医の私としては、これは寂しい現実です。しかしそんな感傷的な感情からではなく、今の心臓生理学と臨床心臓病学にとって未解明のビッグテーマである「慢性心不全の治療メカニズム」を解明するために、この古臭いジギタリスの心不全への作用機序に焦点を当てて、お話しを展開してみたいと思いました。なぜなら心不全に対するジギタリスの一見奇妙な効果の中に、その解明のヒントが隠されているのではないかと私は秘かに想像しているからです。
ジギタリスは心臓に「鞭打つ」タイプの薬(強心薬)に分類されます。この薬の効果と作用機序には謎が多いのですが、その一部の作用に心臓に「鞭打つ」働きの強心効果があるのは確実です。
心不全患者さんにこの薬の強心効果を期待して長期間連続して投与すると、患者さんの寿命を逆に短くしてしまう可能性があるようです。この点は他の強心薬と似たような特徴です。
しかし実際には現在も世界中で多くの心臓専門医に、慢性心不全の治療薬として使われ続けています。私も慢性心不全の治療に使っている一人です。この事実は、使い方によってジギタリスは慢性心不全にも効果があると”感じている”心臓専門医も世界に多数存在する証拠です。しかし、これは考えられる強心薬の常識からみると明らかに矛盾した行動です。
この矛盾は恐らく、ジギタリスを使った慢性心不全治療の場合には、その強心効果をあまり活用しないで抑え気味にして投与すると良い効果が得られるのではないかと多くの専門医が感じているのだと想像します。ジギタリスを使った慢性の心不全治療では、強心効果以外の何か別の薬理機序が心不全改善の鍵になっているように思えるのです。
この様に奇妙で複雑な作用と効果が、ジギタリスという薬は使い方が難しい、使いにくい薬とされる理由でしょう。
ジギタリスは血中濃度が治療域(有効域)内にあってさえ、慢性の心不全治療では強心効果が強すぎて、長期的にゆっくりと心不全が悪化することがありそうです。血中濃度が中毒域でなく治療域にあるので、心不全悪化の原因がジギタリスだと気付きにくい可能性を想像します。またその結果でジギタリスは効果がない、逆に悪化させると考えてしまう可能性もあります。
ジギタリスの血中濃度の「治療域(有効域)」とは、上限値が中毒域より下で、下限値は強心効果がはっきりと出る最低値より上の判断で設定されたのではないかと想像します。
この「治療域」では強心効果が強く表れますので、急性の心不全治療には適切でしょう。しかし慢性心不全の治療域としては高過ぎるレンジなのではないかと想像します。もしその「治療域」を基準にして慢性の心不全を治療をすれば、かつての強心薬の臨床試験と同じ悪い結果になる可能性を予想します。
ジギタリスを使った治療の対象となる主な心臓病は、現在以下の3病態が想定されます。
★1)急性の心不全で強心効果を明確に期待する場面
ー「有効治療域」:標準範囲内
★2)慢性の心不全の長期治療
ー「有効治療域」:下限値の半分程度に管理
★3)慢性の心房細動の心拍数コントロール治療
ー「有効治療域」:心不全なし=下限値以下で下限値の半分以上の範囲
ー「有効治療域」:心不全あり=下限値の半分程度に管理
*注:ー「有効治療域」は筆者が経験的に使用している管理範囲です。
この異なる3種の心臓病の病態で、ジギタリス血中濃度の「有効治療域」はそれぞれ異なるレンジにあると考えた方が良いのではないかと想像しています。ジギタリスが持つ多面的な薬理特性のどの側面を主に利用するかによって、適切な血中濃度域に差があるのではないかと推測しています。
この点に関して20年前の研究ですが、慢性心不全治療では、ジギタリスは新しい強心薬とは異なった作用機序で効果を発揮するので、心臓保護のためにジギタリスの強心効果は抑えて少量投与することが心不全改善に繋がるのだろうと1995年出版の著書(心臓の活性化理論と心不全、文光堂)で、モデルを用いながら理論的に予測したことがあります。
私が日頃診療しているジギタリスの基本的な使用法をご紹介します。ジギタリスを慢性の心不全治療で使う時、極く少量の投与で薬の血中濃度の管理目標を有効治療域の最低値よりかなり低くに設定し、その値を定期的に監視しながら、時間をかけゆっくりとジギタリスの効果発現を待ちます。慢性の心不全治療でジギタリスに強心効果を期待することは、その他の強心薬と同じ結果になる可能性が高いと考え慎重に避けています。
この使用法ではジギタリスの効果は、長期間かかる穏やかな改善なので、医師の方から症状変化を確認しないと患者さんは変化に気付かないこともあります。効果発現に数か月かかるのは早い方で、年に及ぶこともあります。治療効果の発現は決して急ぎません。一年後くらいでも心臓の動態指標に明確な改善効果は認識できないと思います。
一旦ジギタリス投与を始めた後は、注意深く管理しながら、生体に本来備わっている自己調整機能に任せて、最適バランスの循環動態に到達するのを期待します。医師が心不全を力技で強引にねじ伏せるような治療法は、慢性の心不全治療では逆効果になる可能性が高いと私は考えています。生物自体が自然に備えている複雑な自己調節機能をそっと外からサポートする程度が、私の出来る薬剤治療の限界だろうと認識します。
心臓専門医では古く、「ジギタリスを上手く使えるようになれば一人前」と、言われたそうです。昔の医師と較べたら、ジギタリスの血中濃度を簡単に管理できること、心不全の評価が心エコー検査やBNP測定など各種検査で格段にやさしく出来るようになったこと等から、現代の医師の方がコツの習得に有利な立場だと思います。しかし現代は心不全治療にこの薬だけしかない時代ではありません。私としてはジギタリスの使用を勧めたいのですが、必ずしもこの薬ににこだわる必要はなく、他の治療選択肢も多くあります。この言葉は過去の懐かしい言葉になったようです。
昔の医師はそのノウハウの習得に本当に苦労したと想像します。今のように便利な血中濃度測定法や正確な診断技術もない時代に、ジギタリスの使用法を習得できたのは感心します。しかしその当時は、ほかの選択肢がありませんから苦労の甲斐もあったのだろうと思います。
最近の新しい強心薬の作用機序とは異なる未知の機序で、強心薬ジギタリスは慢性心不全治療に有効性が期待できるのではないかと想像しています。もしかすると、その未知の機序とは、心臓のエネルギー効率改善の効果、すなわち、「心筋連結橋回転のエネルギー・張力変換効率」の改善かも知れません。
このエネルギー変換効率は、ミオシンATPaseの酵素活性で規定されるので、心筋細胞へのベータ交感神経遮断で確実にこの変換効率は向上し改善すると推測しました。それ以外にも、甲状腺ホルモン機能(低下)や体温(低体温)等は直接この酵素活性に影響してエネルギー変換効率を変化させる(向上させる)ことが分かっています。
強心作用のある幾つかの薬は様々な経路を経て、ミオシンATPaseの酵素活性を高めるようです。これが高まると強心作用は亢進しますがエネルギー効率は悪化してしまいます。慢性心不全を悪化させた理由は、一つにはこのミオシンATPaseの酵素活性を介したエネルギー効率悪化に原因があるという仮説を想定します。
心臓のエネルギー効率改善の可能性がある具体的治療法としては、1995年段階で、低濃度のジギタリス、ACE阻害剤、ベータ遮断薬、永久ペースメーカー植え込みによる長期的右心室ペーシング(心室筋への交感神経刺激が抑制される)であるとモデルを使い推論しました(■12.仮説のまとめの仮説番号(30)(31)、■11.慢性心不全の心臓治療)。
心不全の摘出心筋でエネルギー効率を計算してみますと、ヒト心筋では正常心筋に較べ1.46倍~1.80倍に、 ウサギ心筋では2.53倍に ラット心筋では1.96倍にと、すべての場合で正常より改善している結果が得られました(■11.慢性心不全の心臓治療 表11.1)。
心臓への交感神経支配とは独立して、心不全心筋では自律的に細胞内でエネルギー効率を改善していましたので、心筋を効率よく上手に休ませて心不全状態にうまく適応していたのではないかと推論しました。ここに更に少量のジギタリス、ACE阻害剤、ベータ遮断薬、長期的心室ペーシング等を追加すれば、この改善状態を更に強化し、心不全の弱った心臓にさらに優しい効果をもたらすのだろうと予想しました。
20年後の現在では、これらの慢性心不全治療法は論争中のジギタリスを除き、実際にその優れた効果が確定し標準的治療法として定着しています。ただし心室ペーシングについては、両心室の機械的同期収縮がその理由であるとする機械的効果論が主流です。またベータ遮断薬の効果も、現在は心拍数減少を機序に想定して精力的に検討されていると思います。
不勉強で怠慢な私ですが知る限りにおいて、慢性心不全への優れた効果が確定したこれらの治療法を統一的、一元的に説明できるメカニズムは見つけられてないと思います。また、それらの治療法をエネルギー効率に焦点を当てた効率改善効果の有無から検討した研究もないように思います。
ただし、ここで言う「エネルギー効率」の基礎データには条件があります。私たちの提案したモデルでは、心筋の消費エネルギー(Um)とForce-time-integral (FTI)関係で測定された時にだけ、この傾きが心筋のミオシンATPase活性と同等となります。ここで議論する心筋の「エネルギー効率」とは、その関係の傾きの逆数で表現されます(■12.仮説のまとめの仮説番号(26))。従って、Um-FTI関係のデータを計測し、その関係の傾きを算出した場合だけ、ミオシンATPase活性から見た心筋の「エネルギー効率」が議論できます。
下に、Um-FTI関係を図で例示します。強心薬のカテコラミン投与(CA)と、低体温(CC)で、対照(CTL)と較べその関係の傾きが変化します。傾きはeA/fであり心筋のミオシンATPase活性と同等です。この値の逆数がエネルギー効率を表します。傾きが下がる低体温ではエネルギー効率が上がり、傾きが上がる強心薬ではエネルギー効率は下がります。Ecは心筋の収縮性を表し、Kaはカルシウムの結合反応速度定数でありカテコラミン等で亢進します。 [出典:Takeda K, Yagi S: Jpn. Heart J. 1991; 32: 69177)]
心臓の収縮機能を落さずに心臓のエネルギー効率を向上できる薬や方法が開発されれば、慢性心不全治療は大きく前進するだろうと予想しました。それは筆者が20年昔に推論した慢性心不全の治療原則でした。
ジギタリス(薬品名:ジゴキシン)にその解明のヒントが隠されているかもしれないと密かに想像しています。
トップの写真は自然に咲く花ジギタリスの絵です。心不全や心房細動に治療効果のある薬です。200年以上前にヨーロッパではこれを薬として自己流で煎じて飲んでましたが、適量が分からずこの薬の中毒で多くの人が命を落としました!!。皆さんもこれを自己流で煎じて飲んだりしては絶対いけません。非常に危険です。心臓専門医が慎重に使う劇薬です。
参考:→■ A0 口絵
著書:Withering W: An Account of the Foxglove and Some of its Medical Uses with Practical Remarks on Dropsy and other Diseases. 1785
ジギタリスの葉や根はヨーロッパでは古来より民間療法で薬として使われていました。英国の医師 William Withering 博士は 多数の水腫(むくみ)症例で、医学的にこの薬草の利尿効果を確認し、その多くの症例の研究成果を一冊の本にまとめ、1785年に出版しました。しかし長い間その研究成果は医学会から無視され続けました。研究は100年以上もたってからようやく再評価されています。