■ 12.仮説のまとめ
ここで展開されたモデルの理論的,実験的,臨床的研究の結果から導き出された心臓生理学,心臓病学に関する主な新しい仮説を列挙し結語にかえる。
1. Ca2+とトロポニンCの結合による「活性部位の出現」が,心筋・心臓収縮の基本特性を決定する中心的役割を果たす。
2. Ca2+とトロポニンCの化学結合反応は,生理的状態では一次反応速度式で近似可能である。
3. 心筋収縮力は心筋長と時間の関数であり,少なくとも5つのパラメ-タ-(Ec, Ka, α, To, Lo)によって修飾される。Ecは収縮末期における活性連結橋濃度[α・σ(Ca2+T)],単位活性連結橋の発生する力(f),心筋断面積(S)三者の積であり,KaはCa2+とトロポニンCとの反応速度定数,αはCa2+のトロポニンCへの親和性,Toは細胞内Ca2+が最高濃度に達するまでの時間,Loは基準心筋長である。
4. cAMPは収縮期の細胞内[Ca2+],Ka,myosin ATPase活性の値を調節する。
5. 短縮収縮における「shortening deactivation」は心筋の内部抵抗(Fr)がその主要な原因である。
6. 力学的収縮末期とは,心筋にかかる外的負荷と心筋の内部抵抗の和とその心筋長における心筋の最大収縮力が均衡する時点である(Fp + Fr=Fmax)。
7. 病的左室では機能心筋と無機能障害心筋の混在があり,Ecの値は機能心筋の収縮性の強さを表し,Loの値は無機能障害心筋の長さを反映する。
8. 左室拡大と無機能障害心筋の量は比例し,残余の機能心筋の収縮性は無機能障害心筋量に比例して亢進する。左室ポンプ性能低下は機能心筋のこの代償機序が破綻したときに発生する。
9. 心不全の左室ではLoは増大しており,このLoに占める病的無機能障害心筋の量が心筋障害の重症度を評価する上で有用である。この臨床的指標としてLoを体表面積(BSA)で除した値(Lo/BSA)が実際的である。
10. 局所的 心筋虚血によって虚血部に無機能心筋が直ちに発生するが,非虚血部の機能心筋の収縮性は 逆に亢進する。この収縮性の亢進は細胞内[Ca2+]の増加によって起こり,心臓への自律神経反射とは無関係である。
11. 心筋の短時間虚血後の再潅流によって虚血部無機能心筋の一部は徐々に機能を回復するが,この心筋の収縮性はしばらくの間は低値に止まるので,機能亢進している非虚血部の正常心筋との合算では虚血時に較べ収縮性が低下する。
12. 虚血前からのCa2+ channel blocker投与は心筋虚血による無機能障害心筋発生に対する保護作用となる。同時に心筋虚血によって生ずる非虚血部機能心筋の代償的収縮性増大もこれによって消失するので,血圧や左室ポンプ性能は心筋虚血および再潅流時に低下する。
13. dP/dtmax,dP/dtmax-Ved関係の傾き,dF/dtmax,VmaxはどれもEcとKaの積に比例する。
14. 正常安静ヒトにおいて,Kaの値は心拍数とゆるやかな正の比例関係にある。これは心拍数によって心筋長が変化し,この変化した心筋長によってK aの値が影響を受けるためである。
15. 心筋長の替わりに心拍数でKaを補正した値(Kac)は,年令や心筋長にかかわらずほぼ一定値である。
16. β1受容体刺激による左室作業心筋細胞内のcAMP増加に連動してKacは増大する。それゆえKacは左室作業心筋への交感神経活動の相対的指標として臨床的に有用である。
17. 洞結節と左室作業心筋への交感神経活動は,それぞれ別々に独立して中枢から支配される(independent cardiac adrenergic systems)。
18. 心室への長期間の人工ペーシングによって,左室作業心筋への交感神経活動は低下する。
19. SLEでは洞結節と左室作業心筋への交感神経活動が亢進した状態にある患者の比率が異常に高い。
20. 6分間歩行負荷によるKac増加分(ΔKac)を心拍数増加分(ΔHR)で除した値,Kac増加率(ΔKac/ΔHR),は心不全の重症度を分類する良い指標である。心不全が重症になるにつれこの値は増大する。
21. 中等度の不全心では,安静時のKacに変化はないが,歩行時には心拍数増加の要求よりも,左室作業心筋の収縮力の増加をより大きく要求する。
22. iの値は後負荷と初期心筋長における最大心筋発生張力の比である[i=Fp/Fmax(Led)]。PEP/LVETはiの関数である。PEP/LVETは後負荷,前負荷,心筋収縮性の三つの因子に依存する。
23. 左室の外的仕事量が最大となるのは理論的にiの値が0.5の時である。正常安静ヒトではiの値はほぼ0.5である。正常安静ヒト心臓における前負荷,後負荷,心筋収縮性の制御目標は「最大外的仕事量の達成」である。
24. 重症心不全では連結橋一個の「エネルギー張力変換比率」の改善という生体にとってより重要な目標を達成するため,「心筋の最大外的仕事量の達成」は実現できない状況となる。
25. 連結橋一個あたりの「エネルギー張力変換比率」はf/eAで表され,心臓のエネルギー効率を決定する最も基本的な指標の一つである。エネルギーから張力への変換はmyosin ATPaseによってなされ,この酵素活性はf/eAの逆数と比例関係にある。myosin ATPase活性はcAMPによって調節される。
26. 連結橋回転エネルギー(Um)と心臓の代表的な機械的パラメーターとの関係において(即ち,Um-FTI関係,Um-Fp関係,Um-PVA関係,Um-FLA関係),それらの関係の傾きは連結橋一個の「エネルギー張力変換比率(f/eA)」の逆数に比例する。即ち,Um-FTI関係の傾きはeA/f,Um-Fp関係の傾きは(eA/f)・Ka-1・T(i),Um-PVA関係の傾きは(eA/f)・(Ec1/2/Ka)・H(i)である。Um-FLA関係はUm-PVA関係と理論的に等価である。
27. catecholamine,低温,甲状腺機能低下による心筋収縮性変化に際するUm-FTI関係,Um-Fp関係,Um-PVA関係,Um-FLA関係の傾きの異なった反応は,それぞれの関係の傾きが五つの因子の異なった組み合わせで構成されていることが理由である。
28. 心筋のFenn効果(同じ心筋長からの収縮では,等尺性収縮の方が等張性収縮よりも多くのエネルギーを消費し,同じ外的負荷では等張性収縮の方が等尺性収縮よりも多くのエネルギーを消費する)とは,収縮様式の違いによるiの値の差によって生ずるT(i)の相違が主要な原因である。
29. 心臓の一分間の連結橋回転エネルギ-(Um)の簡便な臨床的近似法としてFpと心拍数の積が良い。Um はHR・SBP・(LVDd + LVDs)/2に比例する。
30. 慢性心不全に対する心臓の治療方針は,
1)連結橋の「エネルギー張力変換比率(f/eA)」を向上し(心筋エネルギー効率上昇),
2)心筋収縮性を適度に増大し(軽度に),
3)減負荷療法によって心臓の外的仕事量を軽減することである。
31. 以上の慢性心不全における心臓治療仮説から次の様な具体的な心臓治療法を想定する。
1)myosin ATPase活性を確実に低下させるために,β受容体遮断剤や右室ペースメーカー植込みによってβ受容体刺激を抑制する。次善の方法としてジギタリスとACE阻害剤の併用投与でも良い。
2)[Ca2+]とKaを適度なレベルまで増加させるため,ジギタリスやcAMP非依存性に陽性変力作用を示す薬剤を少量投与する。
3)心臓の全仕事量を減少させる減負荷治療において利尿剤,ヒドララジン,ISDNが勧められる。Ca拮抗剤は心筋内の[Ca2+]を減少させるので,心不全の減負荷治療には用いない。