■ 6.左室の圧-容積-時間関係
6.1 モデルによる左室圧-容積-時間関係
活性連結橋モデルの心筋収縮力学を三次元の心室収縮力学に結合するために円筒モデル174)を利用する。そこから左室圧-容積-時間関係は式4-1で表わされる168)。aは変換定数(a=0.735 mmHg・g-1・cm2)。
P = 2aπE(t)・[1 – (Vo/V)1/2] (4-1)
式4-1も正常イヌ左室において実測値を極めて良く推測する方程式であることが分かったので169)(図6-1),活性連結橋モデルと円筒モデルの組み合わせは正常左室では妥当である。左室収縮末期圧-容積関係の傾きEmaxと左室収縮末期力-長さ関係の傾きEcの関係は式4-2で示される168)。
Emax・Vo/2aπ = Ec (4-2)
左室ポンプ性能の一指標としてdP/dtmaxはよく使用されるが,これはモデルから式4-3として表現される168)。
dP/dtmax = 2aπKa(Ec/α)[1 – (Vo/Ved)1/2] (4-3)
dP/dtmaxは拡張末期容積Vedによって主に決定されることが分かる。即ち,dP/dtmaxは前負荷に支配される(図6-2)。
catecholamineはEcとKaを共に増加させるので110, 149, 159, 160),式4-3からcatecholamineによりdP/dtmax-Ved関係の傾き(2aπKaEc/α)はEcとKaの積に比例して増大する。Kaは心筋収縮時間Tsysの逆数であるから(式5-1),dP/dtmax-Ved関係の傾きはEcとTsysの逆数の積(即ちEc/Tsys)に比例すると言い換えられる。Little110)はイヌでの実験からcatecholamine投与によるdP/dtmax-Ved関係の傾きの増加率はEmaxを収縮時間で除した値(即ちEmax/Tsys)の増加率に等しく,Emax単独の増加率より大きく,それ故dP/dtmax-Ved関係の傾きは心筋収縮性指標として収縮性変化に対する感受性が良いと報告した。dP/dtmax-Ved関係の傾き,dP/dtmax (式4-3),dF/dtmax (式3-6),無負荷時心筋最大短縮速度(Vmax: 式6-3)はすべてEcとKaの積で表現されるとモデルから理論的に予測される。KaとEcは心筋収縮性を規定するそれぞれ独立したパラメータであるので,ある干渉が心臓に加わった時その変化を積として一つの指標で評価するより,それぞれ個別に評価する方がより有意義であろう。
従って,Little110)の言うdP/dtmax-Ved関係の傾きが心筋収縮性指標として感受性が高いという議論はあまり意味がないと思われる。しかし,以上のdP/dtmax-Ved関係の傾きに関するLittleのイヌでの知見はモデル予測と完全に一致する。
6.2 左室収縮末期圧-容積関係
最近約20年間,心筋の発生張力に相当するであろう左室圧または左室壁応力と心筋の長さに相当する左室容積または左室内径との関係が左室収縮末期関係として詳しく検討された。左室収縮末期圧-容積関係の傾き(Emax)と心筋収縮性との関係に着目しこの生理学的意味を詳細に研究したのは菅159, 160)である。1973年に菅と佐川らはイヌの左室収縮末期圧-容積関係が左室圧の比較的低い範囲で近似的に直線関係となることを確認し,同時にこの直線の傾きは左室容積切片(Vo)を定点として心筋収縮性の増大(エピネフリン投与)により増加することも確認した160)(図6-3)。この左室収縮末期圧-容積の直線関係が示す力学的特性は摘出心筋の収縮末期力-長さ関係における力学的特性(図2-1)と極めて類似していた。そこで収縮末期における圧-容積関係の直線の傾きを心筋の弾性特性が心周期中最大となった値を反映するとして菅らはこれをEmaxと名付け,Emaxを前負荷および後負荷に依存しない心筋収縮性の良い指標であると提案した。
その後,左室容積の正確な測定の困難さ等から圧-長さ関係110, 114)が,左室後負荷は左室圧より左室壁応力の方がより適切であることから応力-長さ関係115,187),応力-歪み関係121, 205)等が心筋収縮性の評価のため加わった。これらの左室収縮末期関係はどれも近似的に直線関係にあり,心筋収縮性の変化によりそのX軸切片を定点として傾きが変化する。左室の負荷状態や心筋収縮性の変化にともなって観察されるこれらの関係の力学的特性は摘出乳頭筋の力-長さ関係と同一であった。従って,左室収縮末期圧-容積,圧-長さ,応力-長さ,応力-歪み関係の傾きのどれも心筋の収縮性能を表わすEcをよく反映しているものと推測された。これらの関係の傾きがEcと理論的にどのような関係にあるかは明確ではなかった。それまでの古典的な心収縮性指標はすべて左室前負荷や後負荷に依存したにもかかわらず,Emaxはそれらから独立していると考えられた。これはそれまでの古典的な心収縮性指標と異なっており,Emaxは心収縮性指標として新しいタイプのものであった。その後の研究からEmaxには幾つかの重要な問題や制約があることが明らかになった。
6.3 収縮末期圧-容積関係の限界
Emaxの値は左室の大きさに依存する。左室圧は成人も小児も正常ではほぼ80~130mmHgの範囲内にあるが,左室容積は小児の方が成人よりかなり小さいことから,心筋収縮性に差はないと推測されるにもかかわらず,Emaxは小さな左室では高値を,大きな左室では低値を示す2, 156)。また拡大のある病的左室ではその拡大に反比例してEmaxは低値を示す64)(図6-4)。Emaxには左室の大きさに依存するという本質的な特徴があるため174),この病的拡大のある左室のEmaxの低下が単純に左室拡大によるものか,心筋収縮性の低下によるものか識別できない。
Emaxの左室サイズへの依存性の問題を克服するため,菅ら156, 162)は正常心筋からなる異ったサイズの左室間でEmaxを正規化することを理論的に考察した。その結果EmaxとVoを乗じた値(Emax・Vo)は左室サイズと無関係な心筋収縮性を表わす指標となると報告した。しかし,正確なVoの値を臨床の場で得るのは困難であるうえに,回帰直線から外挿して得られたVoが負の値であった時,負のEmax・Voは心筋収縮性を表わす指標として非現実的となる。ヒトやイヌの左室でV oが負の値を示すことがある120, 139, 212)(図6-5)。Voとは左室圧をゼロにした時の左室容積のことであるが,左室圧がゼロであっても左室容積が負となることはあり得ない。Voは通常生理的圧デ-タからの回帰直線を外挿して得られる。このように外挿して得たV oが負の値となるのは計測誤差によるだけではなく左室収縮末期圧-容積の非直線的関係からもたらされる。左室収縮末期圧-容積関係はゆるやかに上に凸の曲線であるので,外挿したVoが負の値となることはあり得る。同様のことが左室収縮末期圧-内径関係にもあてはまる。左室収縮末期圧-容積,圧-内径関係は直線とみなし得る曲線(curvilinear)であり(図6-6),Voはこの立場に立った時正しく測定される19, 53, 121, 143, 175, 198)。正規化された指標としてのE max・Voにも臨床応用には限界がある。
EmaxとEcは心臓の収縮性指標として似て非なるものである。その理由は1)Emaxは左室chamber elastanceを,Ecは左室のmyocardial elastanceを表し,それらの物質特性の意味が異なる。2)Emaxは左室chamber size(Vo)に依存し174, 176),Ecは左室心筋の壁厚(Ho)に依存する169)。以上の固有の性質からEmaxとEcは与えたinterventionによっては反対の方向に値が変化することもある。3)通常左室収縮末期圧ー容積関係は上に凸の関係である19, 53, 80, 90, 93, 121, 143, 175, 198)が,心筋の収縮末期力ー長さ関係はよい直線関係にあるらしい175)(図5-2,5-3)。その結果,左室圧の測定範囲によりEmaxはその値が変動し,生理的圧データの回帰式から求めたVoの値の信頼性は低い14, 129, 175)。
Emaxの値は左室chamber size(Vo)に依存するので,心筋障害により量的・質的に既にVo(またはLo)が変化している心臓(例えば心筋症,心筋梗塞,心臓弁膜症)64, 117)や,interventionによってVoが変化するような環境(例えば局所的心筋虚血165),アシドーシス172))ではEmaxだけの単純比較は意義が少ない。なぜならEmaxはその本質から左室chamber elastanceの指標であり心筋そのものの収縮性指標ではないけれども,あくまでVoが一定である条件下に前負荷と後負荷に影響されない心筋収縮性を反映する指標として提唱されたからである159, 160)。従って,もし左室心筋収縮性をEmaxで比較評価するのであれば,Vo(Lo)の差が正常心筋の成長や種差・個体差であろうと無機能障害心筋の新たな出現によるものであろうと,常にVo(Lo)の差異に対応してEmaxを正規化しなければならない。無機能心筋の出現によるVo(Lo)の差異に対応してEmaxを正規化する方法は現在分かっていないので118),Emax単独で心筋収縮性を評価できる条件は与えた負荷によってVo(Lo)が変化しない環境での正常心筋からなる心室だけである。病的な心筋をその中に含む可能性のある心室では,Emax単独で心筋収縮性を比較評価することは出来ない。拡張型心筋症や心筋梗塞では通常Vo(Lo)は増大しており64, 117),このVo(Lo)の中に占める病的無機能心筋の量を考慮することが機能心筋の収縮性や心筋障害の程度を評価する上で重要になる。心筋梗塞後の進行性左室拡大現象(remodeling)は梗塞開始からのVo(Lo)の経時的増大過程を表しているのかも知れない。このように正常心筋ではVo(Lo)の違いは成長や種差・個体差ほどの意味しかなくさほど重要ではないが,病的な心臓においては心筋障害の進行の度合いを測る臨床的に極めて重要な情報となる。以上の解析をする上で左室収縮末期圧ー容積関係には限界があるであろう。
図6-1:正常ビ-グル犬の左室圧。異なった三つの心周期についての実測値(丸印)とモデルの予測値(実線)。loop番号は図4-2の番号と同じ。短縮期において予測値が実測値より大きいのは心筋内の内部抵抗によるものであり理論による予測誤差ではなく,この理論は実測値を良く近似できたといえる。[Takeda K, et al: Am. J. Physiol. 1991;261:H1554169)]
図6-2:左室dP/dtmax-Ved関係のモデルによる予測。対照(A)とcatecholamine投与
(B)。[Takeda K: Jpn. Heart J. 1990;31:43168)]
図6-3:イヌ摘出心臓の左室収縮末期圧-容積関係。[Suga H, et al: Circ. Res.
1973;32:314160)]
図6-5:正常若年者の左室収縮末期圧-容積関係。[Winnem M, Piene H: Europ. Heart J. 1986;7:961212)]
図6-4:ヒト病的心臓の左室収縮末期圧-容積関係。[Grossman W, et al: Circulation 1977;56:84564)]
図6-6:正常イヌの左室収縮末期力ー長さ(A),応力ー長さ(B),圧ー長さ(C),圧ー容積関係(D)。対照(C)とCa2+投与(Ca)。全てのデータを直線近似した。力ー長さ関係のCa2+投与だけは二本の直線で近似してある。圧ー容積関係で対照とCa2+投与のX軸切片が一致しないのと,対照のX軸切片が負である理由はこの関係が上に凸のカーブであるからである。これは図5-2と比較すれば理解しやすい。[Takeda K,et al: Am. J. Physiol. 1990;258:H1300175)]