■ 2.心筋の力-長さ関係
ヒトの心臓の収縮性能を適切に評価する方法は,現在もなお重要である。左室ポンプ性能の指標は左室の心筋収縮性だけでなく,左室前負荷,後負荷,心拍数にも影響されるという問題を伴っており,それらに差のある患者間の心筋収縮性の正確な比較評価を困難にする。そこで左室心筋の収縮性能だけを選択的に評価しようとする努力が続けられてきた。かつて摘出心筋の収縮性能は以下の2つの方法を用いて表現された。即ち,心筋の力-長さ関係と力-短縮速度関係である。力-長さ関係は活性化されたアクチン-ミオシン連結橋の数に比例した心筋の最大力発生能力を,力-短縮速度関係は連結橋の数と回転速度をともに反映すると推測された。心筋の力-長さ関係はその構造が力学的に単純であるため,心筋の力学的状況を把握するのに有用である。力-長さ関係の立場からの評価法に相当し完全な心臓でそれに代わる方法として,1973年に左室収縮末期圧ー容積関係の指標が菅と佐川151,158-160)によって提案された。この指標は心筋の力-長さ関係の基本特性を良く反映するが,この指標では力-短縮速度関係によって表現される連結橋の回転速度が評価できない欠点があるとされた。力学的な基本単位は力,長さ,時間である。力-長さ関係はこの内の二つを用いた一次元と一次元の関係である。しかし,圧ー容積関係は臨床的に使いなれた圧や容積を用いるため直感的には理解しやすいが,力学的構造は三次元と三次元の関係であり,はるかに複雑で処理が煩雑となる。
形の変形を伴う固体の長さと体積の変化をその物体の変形と定義する。変形を起させる外力の働きを除いたあと,その変形が元に戻るような変形は弾性変形である。物体が弾性変形するとき,発生する弾性力(F=elastic force)が物体の絶対変形量(ΔL=L-Lo)に比例する(Hookeの法則)(式1-1)。
Ec = ΔF/ΔL (1-1)
ここに,比例定数Ecは物体の弾性特性を示す物理量である。応力(σ=stress)は物体の断面(S)の単位面積あたりに現われる弾性力の大きさを示す物理量である。つまり,
σ = F/S (1-2)
変形の尺度として,物体の長さ(L)の絶対変形量(ΔL)とその最初の値(Lo)との比[相対変形量(t=ΔL/Lo=strain)]をとった時,応力は相対変形量の関数となる。応力を相対変形量で微分した値が物体の弾性率(Et=elastic modulus)である(式1-3)。
Et = Δσ/Δt (1-3)
弾性率は単位の相対変形量において生じる応力と大きさが等しい。一方向の引っ張りとは外的に引っ張り力(Fp)を作用させて物体の長さを増加させることである。この時,弾性的伸びはF=Fpの条件において停止する。Etは弾性体の長さ(前負荷),断面積,そこにかかる外的負荷(後負荷)に依存しない弾性体固有の弾性特性を示し,各種弾性体を特徴づける指標として使用される。Etが大きいほどその弾性体は硬い(stiff)とみなされる。
動脈および静脈の血管壁を弾性体とみなし,この弾性特性を弾性率を用いて比較した実験的研究は古くからある12, 24)。収縮期の心筋についても同様に,その力学的特性を近似的に弾性体とみなし得ることを示唆する報告がある。ネコ摘出右室乳頭筋における実験結果である32, 87, 150)。この実験では摘出乳頭筋の両端を固定し電気刺激により等尺性(isometric)収縮をさせた時,心筋の発生する最大収縮力(Fmax)と心筋長(L)はほぼ直線的比例関係を示す。一方の端を固定し他端に重り(外的負荷)をつけた等張性(isotonic)収縮をさせた時では,初期心筋長にかかわらず,ほぼその重り(外的負荷)に相当する等尺性収縮で得られた最大収縮力-長さ関係で決定される心筋長で収縮運動を停止した。ノルエピネフリン投与による心筋収縮性の増加では心筋の最大収縮力-長さ関係の傾きは増大した32)(図2-1)。また等張性収縮における心筋の力-長さ関係は等尺性収縮におけるそれとほぼ同一であった87)。以上の実験結果から次ぎの4点が摘出心筋の主要な力学的特性とされる。
1)心筋の収縮様式(isotonic,isometric)に拘らず,心筋収縮性が一定ならば,心筋はある心筋長でその心筋長に相応したほぼ一定の最大収縮力(Fmax)を発生する。
2)心筋の発生する最大収縮力と心筋長(L)はほぼ直線的比例関係にある。
3)心筋収縮性の変化は心筋の最大収縮力-長さ関係の傾き(Ec)の変化としてとらえることができる。収縮性が増大すれば基準心筋長(Lo:長さ切片)はほぼ一定のまま,その関係の傾きが増大する。
4)心筋は一定の外的負荷状態で短縮運動(等張性収縮)を開始すると,その心筋長に応じて心筋の発生する最大収縮力は減少し,外的負荷(Fp)と均衡する最大収縮力を発生する心筋長となるまで短縮をつづける。いったん心筋の発生する最大収縮力が外的負荷と均衡する時(Fmax=Fp),心筋はそれ以上短縮しえなくなる。いいかえれば,心筋の等張性収縮において収縮末期(心筋短縮運動の最終停止点)とは,心筋にかかる外的負荷とその心筋長における心筋の最大収縮力が均衡する時点である(Fmax=Fp)181)。
心筋収縮力と左室圧による外的負荷の均衡を考えると,等尺性収縮では任意の時間においてF=Fpであるが,駆出収縮ではF=Fp + Frである(Frは心筋の内部負荷)103, 169)。心筋内に発生し心筋短縮を妨げるFrはFと心筋の短縮速度vの積に比例する103, 169)。心筋の短縮速度が十分速い時,Frは無視し得ないほど大きな値となるので169),駆出収縮中の左室ではFrは重要な要素である。