私の趣味の話題です。1940年代~1960年代の古いカメラが趣味でいくつか持っています。最近は1941年から約7年間だけ製造販売されたアメ リカKODAK社のEKTRAというカメラのレンズ(EKTAR)がお気に入りになりました。今日はそのレンズの話題をお話しします。
1)エクトラ・エクター製造の背景
LeitzでもなくZeissでもない、Kern Macro-Switar 50mmに似た写り
ドイツ・ライカのカメラとレンズも大変素晴らしいですが、爽やかなさっぱりした写りです。このライカのレンズと違ってEKTARレンズはコクのある写りで質感が濃厚、豊饒で素晴らしいものがあります。私の好きなKern Macro-Switar 50mmに似た写りをするように思います。Macro-Switarは50mmレンズだけの孤高を形成しましたが、このEKTRA Ektarは35mm, 50mm (f1.9とf3.5), 90mm, 135mm, 153mmといろんなレンズの種類がありもっと楽しめます。
どのレンズの写りも味わいは似ているように思いますので、設計者は統一した思想でこのレンズ群を設計したのでしょう。その思想はLeitzでもなくZeissでもないものでした。能力不足でその思想を解説することは出来ませんが、専門家でわかる方にはわかるのだろうと思います。
コーティング技術もまだ未熟な時代のレンズですから逆光には弱いです。しかしライカのバルナックと同じ時代だと考えると大したものです。ズミタールと同時代でズミクロンより10年以上前で、似ている描写のKern Macro-Switar 50mmより17年も前です。現代の完成されたレンズにはない独特のトロリとした甘い写りを楽しませてくれます。
極めて高機能・超高価で、極端に少ない製造台数
このカメラとレンズは当時全盛だったアメリカのKODAK社がその威信をかけて作った最高級のカメラとレンズでした。LeitzやZeissを超えることを意識していたそうです。あまりの高級さのゆえか、販売台数は7年でたったの2500台です。
当時でも高価だったライカより高価だったそうです(ライカの3倍?!)。高級カメラの代名詞のライカM3は、1954年から14年間で23万代製造されました。この台数と比べるといかに少なかったか驚きます。完全に赤字でしょう。経営戦略の大失敗だったのでしょうか?。
製造は1940年代前半のみ、時は第二次世界大戦開始前後です。軍用目的に制作したものでもなかったと思われます。敵国ドイツからはカメラが輸入しにくくなったでしょう。ライカの代用が目的だったとする意見もあるようですが、実際にはこの役割は同社のバルナック型のKardonが担当したかもしれません。そのレンズはKardon用のEktar 47mm/f2です。EKTRAがその役割を担ったなら、こんな高価格設定や極々少数製造の経営戦略は取らなかったでしょう。
EKTRAは、アメリカ帝国を支配するトップ階層専用のカメラか?
最初から利益を出す意図など毛頭なく、「LeitzでもなくZeissでもない、我社Eastman Kodak (EK)が世界最高のカメラを作る。それを所有できるのは我々だけだ」というコダック経営トップの矜持だったのかもしれません。
一般に商品として広く販売する意図などなく、アメリカ帝国を支配する少数のトップ・エスタブリッシュメントである政治家、金融家、巨大企業経営者など、アメリカ政財官界の特別な人達だけが所有できるアメリカ製特別カメラとして限定数だけ製造したのかもしれません。
一般に販売された商品だったかどうか知りませんが販売されたとすれば、「こんな価格になるが、それでも買いたい人がいれば売ってもいい」としたかもしれません。ですから超高価なライカの3倍!?もするアマチュア用カメラとしてはトンデモナイ価格だったのでしょう。
コダック社ではこのカメラの赤字など全く問題にならなかったと思います。当時のコダック社には財務的な余裕はタップリあったでしょう。カメラとレンズはコダック渾身の最高技術工芸品です。まさにアメリカ帝国黄金期の文化遺産といえるでしょう。こんなカメラとレンズは巨象のコダックでさえその後は二度と造れませんでした。
このカメラにはその後Leica M3などにも採用された革新的新機能がてんこ盛りで当時では驚異の最先端カメラでした。カメラ本体の驚くような多くの特徴は他の解説に譲ります。こんなカメラに装着するレンズですから、カメラ同様に当時の最新技術と機能を詰め込んだと予想します。
しかしカメラの使いにくさも最高?のようでした。恐らく所有できた人も使いきれず間もなくお倉入りしたでしょう。多数はそのまま壊れてダメになっていきました?!。
稀少な残存数と、不良なレンズ保存状態
程度が良い状態で残ったカメラとレンズは少なく、現在では稀少なものになっています。ライカと違って誰にも使われず何十年も放置されたからでしょう。ライカは大切に使い続けられましたから、程度の良いカメラとレンズはザラです。このカメラとレンズは市場に出てきても、レンズはクモリとキズだらけカビがあったりです。
そんな状態ではこのレンズ本来の実力は発揮出来ません。このカメラで撮影したぼんやりと曇った画像を時々見ますが、傷んだレンズそのままを使った写真かもしれません。肝心のカメラも壊れて修理不能が多く、レンズはほかのカメラに流用できませんから、機械的に正常な状態でこのレンズを使えた人は少数だったと予想します。
まともな状態で使えた人があまりに少ないので、このレンズの優秀さ(と私は感じています)が残念ながら評価されていません。現存する数の上ではライカの希少品と比較しても少なく珍品級でしょう。中古市場で評価は低く同時代のLeicaの普通品クラスのレンズよりも安価です。私はコツコツと揃えてきました。
2)エクトラ・エクターのレンズ設計上の特長
レンズ設計と交換レンズの構成
交換レンズは35mm/F3.3(ヘリヤー型)、50mm/F1.9(ダブルガウス型)、50mm/F3.5(テッサー型)、90mm/F3.5(トリプレット型)、135mm/F3.8、153mm/F4.5の合計6本が販売されました。153mm/F4.5はまだ入手できませんが(2014年8月にようやく入手できました)、これ以外で私の所有する5本はどれもよく写ります。交換レンズ群の設計もよく練られた構成だと思います。特徴ある歴史的名レンズ設計の系譜を上手く配置しているように思います。
EKTRA Ektarレンズの描写は質感が濃厚で豊饒です。このレンズはよくブルーに特徴があると言われますが、私はむしろ赤の写りが特徴かも知れないと感じています。描写の全体的な印象をたとえると、後年製作のKern Macro-Switar 50mmに似ているように思います。5本のどのレンズも描写の味わいは似ていますので、描写特性は全部ある思想に統一されているのでしょう。その思想はLeitzでもなく、Zeissでもなく、Schneiderでもないものです。ドイツとは違う、KODAK独自の個性的な描写の方向性を追求し実現したのだろうと思います。この分野の専門家のご意見が頂きたいところです。
「電子計算機の設計ではないので、(EKTRA Ektarの)設計者のお名前もちゃんとコダックの歴史の中に見える。こういうレンズと設計者の顔が一致しているのは、せいぜいが50年代の観音(キャノン?)あたりまでであろう。その顔写真もある。現今の優秀レンズがつまらないのは、レンズを創造した人物の顔が分からないことだ」とは田中長徳氏の弁です(PEN PEN チョートクカメラ日記:EKTRAとEKTARで初撮りでテープカットから)。
レンズ硝材は、放射能トリウム?
レンズの硝材については、高価な稀少金属を多用したようです。「エクターの硝材で特筆すべきはトリウムです。光学ガラスにトリウムを混ぜると、屈折率が上がり、より高性能なレンズが作れます。コダックはかなり早い時期から、トリウムレンズの研究をしていたといわれています。トリウムレンズには、昔からよく写るといわれる銘玉が多いです」(暇人閑居写真日誌のブログ:http://xylocopal2.exblog.jp/4463098/から)との見解もあります。ただし、ここではEKTRA Ektarにトリウムを使ったかどうかについて言及していません。
トリウムレンズは経年によってガラスが少し黄色く変化するようですが、モノクロ撮影には抜群の性能を発揮するとされています。1952年に生産されたライカの50mm/f2のトリウム・ズミクロンはライカポケットブックでレア度7の飛びぬけて珍品とランクされています。稀少性だけでなくその写りも評価されてのことでしょう。しかし、このEKTRA Ektarのレンズは、今見ても、どれも黄色く変色していません。
時代は今後カラーにシフトするのはコダックなら企業戦略として当然予定済みだったでしょう。そんな時にカラーでは不利な黄色に変色するトリウムを、歴史的カメラと位置づけるEKTRA Ektarに使ったか疑問があります。EKTRA Ektarのレンズケースはどれも全金属製(アルミ合金?)です。レンズケースとしては珍しいですが、トリウムレンズと何か関係があるのでしょうか。
高機能の近接撮影 3本ものレンズに装備!
このレンズのもう一つの大きな特徴に、レンジファインダー・カメラなのに、1941年の段階で既に近接撮影用機構が35mmと50mm (f1.9と f3.5両方)に装備されていることです。レンズのサイドに付いたフックを引くと、最短撮影距離が3.5 feetから1.5 feetまでの近接に切り替わるのです。近接撮影機能付きレンズです。デジカメでは便利な機能です。
このカメラとレンズが秘めた多数の先進的な機能から推測すると、このレンズは最初から近接撮影対応として設計されたものと推測されます。近接撮影用のレンズ設計には特に面倒な計算が必要らしいので、当時の設計者はレンズデザインの推敲に多大な努力を払ったことでしょう。しかし現代の高速コンピューター設計と比較すれば初歩的で低レベルな設計かもしれません。
恐らく機械計算であり、コンピューター設計ではなかったと思いますが、あの1958年発売のMacro-Switar 50mmもただ一本だけです。1941年でたった1つのEKTRAカメラ向けに、3本ものレンズにこんな高機能を装備させた先進性も、このカメラとレンズに込めたKODAKのもの凄い意気込みが想像できると思います。
鏡筒は、KODAK独特でアメリカ人好み
鏡胴の作り込みは、好みもありますが、KODAK独特の高級な無垢の金属材料でできていると思います。作りは超精巧でかつ高級メッキでドレスアップするLeicaやZeissのドイツ的繊細さとは違ったアメリカ人好みのグラマラス・デザインです。作りの精巧さはドイツ製に劣ると思いますが、触る感触は独特で個性的で良いと思います。
3)エクトラ・エクターのレンズ性能
コダック・エクターは名玉揃い
KODAKには、”Ektar”と名付けられた多種類の高級レンズの一群があります。KODAKでは”Ektar”はどのカメラ向けであっても、最上級の性能が保証されたレンズにだけ冠した名前だそうです。そしてこの”Ektar”は、コダック発祥の地、ニューヨーク州ロチェスター工場だけで作られたのだそうです。”Ektar”には伝説の銘玉といわれているものが少なくないそうです。私はこのEKTRAの”Ektar”以外を使った経験がないので比較評価はできません。
エクトラ・エクターは抜群の名玉「名玉中の名玉」
豊田氏は自身のブログで、「多くのシネレンズのエクターやライカマウントエクター、ハッセル用、固定レンズカメラ用のエクターなどを使ってきましたが、エクトラ用のエクターはシャープネス、諧調、立体感、発色など一段抜きん出ていて、まさにベストオブエクターレンズだと思います」と絶賛に近い評価です(英国自転車、シネレンズ、オールドギター:アダプター最後の大物 Kodak Ektra Ektar 35mmF3.3から)。豊田氏の他にも、このレンズの描写を好む写真愛好家や写真家が日本にも何人かおられます。このレンズの描写の特徴や撮影例は、そんな写真愛好家等のみなさんの解説や評価を参考になさってください。私の能力を超える部分です。
50mm/F1.9、私のお気に入り
50mmでは、F1.9よりもテッサータイプのF3.5レンズを評価する意見もありますが(田中長徳氏のブログ)、これはコダック社内での性能評価の数値レベルのことだと思います。しかし、私は50mm/F1.9の方を好みます。レンズ操作がしやすいだけでなく、装着したレンズの見た目の姿も、触り心地もF3.5より上等です(これは大切です!)。ライカとはまた違った感触です。F3.5あたりに絞ってアルファ7で写す楽しさは極上です。開放の写りを楽しむには上級レベルの腕が必要なので、私にはあまり縁がありませんので。
4)エクトラ・エクターを入手、OVHしてから撮影を
レンズの入手
なかなか市場に出てきませんから、入手に苦労するかも知れません。初めて購入のレンズなら、もし見つけたら、少しのキズやクモリがあってもあまりひどくなければ、値段との相談で、とりあえず入手の選択を検討してください。次の機会を待っていると数ヶ月、数年後かもしれません。その後にもっと良い状態のに出会ったら、買い換えるかどうか、その時はまた考えてください。上手にオーバーホールしてやればこのレンズ本来の実力が復活します。素晴らしい写りなので、価格の何倍も楽しめます(これは私の主観的意見です)。
「コダックの呪い」:不可能なレンズ転用
EKTRA Ektarは、特別なアダプターを使わなければどのカメラにも装着できません。他にはない特別なマウント構造なのです。たった一つのごく少数生産カメラモデルに独特で複雑な特殊マウント機構を装備するなど生産効率重視の現代工業製品には考えられません。「このEktarレンズは、EKTRA以外では絶対に使わせない」とするコダックの強い意志の現れだったかもしれません。「コダックの呪い」です。レンズを他のカメラで転用して使うことを頑固に排除し、拒否し続けてきました。そうするほどこのレンズはコダックから考えても特別で唯一無二なレンズだったのでしょう。これに近い例は後年のZeissの一眼レフContarexにも見られます。しかしContarexの方はEKTRAと較べ生産台数も多く、あっさりと他社からマウントアダプターが作られました。
EKTRA Ektarレンズだけが、最後の最後まで、つい最近までどうしても転用して使えませんでした。それは、そのレンズの販売数が桁外れに、あまりに少ないのと、アダプター製造が技術的に簡単ではないので、赤字覚悟でこんな面倒なアダプター生産に手を出す人がいなかったからです。これまでは例外的に、特別な技術を持ったマニアックな人だけが、レンズをバラしてライカマウントに全面的に改造するか、個人的にアダプターを何とか一個だけ作るかして、このレンズを他のカメラに転用して楽しんだのでした。まさに「コダックの呪い」が長年月、つい最近まで生き続けていたのです。
呪いを解いた三晃精機、マウントアダプターを製品化
このレンズをSONYのデジカメNEX(アルファ7)に装着できるアダプターが、大田区の三晃精機さん(http://www.sankouseiki.com/)から、ついに世界初の商業的製品として最近完成し、販売されました。全金属製で少し重いですが、精巧で立派な造りです。エクターレンズに似合います。その製品完成の裏には、技術屋社長さんの並々ならぬ努力があったのは間違いないでしょう。おかげでアダプターを自作できない私にも、75年ぶりでこのレンズをエクトラ以外のカメラ(NEX、アルファ7)で使えました。「コダックの呪い」は、日本の高度工業技術と技術屋社長さんのヤマト魂でついに解けました。
2014年9月に三晃精機さんからMマウント用のコダックエクトラ・マウントダプターが発売されました。これはMマウント用なので、これにヘリコイド付きライカM用アダプターを介してソニー7に接続すると、レンズ本来の近接以上に対象に寄ることが出ます。またソニー7用アダプターに較べて金属部分がズッと少ないので、軽くて携帯に重宝しますので私はこちらの方を多用しています。
費用をかけても、レンズOVHがおすすめ
ライカの古いレンズが多くの人から高く評価されるのは、古いレンズでありながら大切にされて来てコンディションが非常に良いものが多いから、との側面もあったと思います。レンズがキズ付いてクモッたままで撮影しても本当の実力は発揮できませんし楽しめません(趣味のレベルですから、私の個人的見解です)。このレンズは一見して綺麗に見えても長年月の保存状態が悪かったですから、中玉は曇っているのが普通です。
レンズのクモリは強い光を通せば簡単に発見できます。コーティングは無いに等しいですから、クモリは描写を大きく劣化させます。是非クモッたこのレンズをOVHしてスカッとさせ、設計者が意図した本来の実力を発揮させ使ってください。OVHの費用もこのレンズの購入費用の一部だと割り切って下さい。きっと再評価され楽しめると思います。私もOVHした綺麗なレンズで本当の実力に触れることができて驚愕した一人です。誰に言われたわけではありませんがレンズに魅了されてファンになりました。
傷んだエクターレンズを綺麗に甦らせるために、私は新宿の山崎光学写真レンズ研究所さんにOVHを依頼しています。詳しくはここをご覧下さい(レンズを蘇らせる技〜山崎光学写真レンズ研究所〜(http://camerafan.jp/cc.php?i=152))。ここにお願いすると、レンズが綺麗に生き返って戻ってきます。
5)終わりに:エクトラ・エクター・レンズの再評価を期待
上の写真は所有する5本のレンズです。玉はかなり綺麗ですからどれも似たような味わいで私好みの素晴らしい写りを発揮してくれます。35mm, 50mm/F1.9, 90mmをお気に入りで愛用しています。それ以外も十分楽しめます。レンズをフィルムカメラ(EKTRA)で使うことはもう諦めています。SONYだけでなくライカMでも、もしEVFがまともになったら、使ってみたいと願望しています。
数が極めて少なくてストーリーがあってこれだけ立派な35mm判のレンズは貴重だと思います。
1940年台前半限定でアメリカの巨象KODAKがその黄金時代、コストを度外視し、威信をかけ、全力を注いで、極々少数を生産したカメラとレンズです。当時ではずば抜けて多くの先進機構を装備した世界最高のカメラとレンズだったでしょう。KODAK渾身の技術工芸品でアメリカ帝国黄金時代の歴史に残る文化遺産です。
今は亡きアメリカKODAK社の栄光を象徴するカメラEKTRAとEKTARレンズ。将来多くの人々によってこのレンズの正当な再評価がなされる時代が来ることを切に期待します。
★注
トップのアイキャッチ写真は「ガラス越しの夕暮れ」。KODAK EKTRA Ektar 50mm f1.9 開放、SONY Alpha7、 三晃精機製アダプター使用
追記 2016.04.07
私の趣味の写真関係の記事をここで書いたのは、後にも先にもこれだけです。しかしこの#007 コラムは私の予想に反し意外に多くの方がコンスタントに読んでくださいます。
当時(2014.03)このコラムを書こうと思ったのは、このレンズがライカやツァイスの華やかなさに比較して実力不相応にあまりに評価が低く、日陰者で寂しそうで愛おしく感じたのがきっかけでした。
人知れず、評価もされず、道端にひっそり咲く、不遇な花EKTRA Ektarレンズ群、誠に可哀想に思いました。少しでもその実力と価値を皆さんにお知らせ出来ればと意気込んでこんな長い文章になってし まいました。その後何度も筆を加える羽目にもなりました。
読む方に私の何かが伝わりましたら幸いです。