画像:不思議の国のアリス
「測るとまた高いかも?」の不安
「見せかけの高血圧」という高血圧患者さんの考え方を以前お話ししました(◆その高い血圧 治療が必要な本物か?、不要な見せかけか?)。この高血圧は、或る特定の状況の時だけ血圧が高く出るケースで、その状況以外の時ではほとんど正常かそれに近い血圧です。
特別な状況とは様々ですが、多くは心理的因子が強く働いていることが多いと思います。私達の日常外来診療ではこのような患者はありふれていてよく遭遇します。どうしてそのような高血圧になるのか、今回はその第一回目として「測るとまた高いかも?」の不安や恐怖の心理が原因の例を取り上げて話してみたいと思います。
60歳代男性の例
長く会社に勤務していましたが定年退職して現在は時々頼まれた時だけ近所の手伝いをしている悠々自適の人です。
1)初めての診察
ジムで測定する血圧が自宅で測るより高いのが心配と当クリニックに来院しました。この患者のいつもの家庭血圧は長い間120台/70台mmHgで安定していたそうです。2ヶ月前からトレーニングジムに通うようになってそこで測ると155mmHgまで上がってしまいます。それ以来、自宅で測る血圧までも155mmHgと急に高くなってしまったと不安そうに話しました。
当クリニックを初めて受診し診察室で私が測った血圧は140/80mmHgでした。診察を終えて検査室に入り、そこで血液検査・尿検査を済ませた後に看護師が再び血圧を測りました。その時は124/86mmHgになっていました。
初めての診察では緊張から一時的に高い血圧を示すことはよくあります。しかしこの一時的に高い血圧はほとんど問題ありません。病気で治療が必要な高血圧症とは考えなくてもよろしいと思います。
比較的緊張しやすいタイプの人に多く見られますが、そうではない人でも起こりますから、初診時の高い血圧は我々医師にとって少しやっかいな問題です。
いろんな検査の結果この患者の治療は高かったコレステロールの薬だけを開始することにしました。病気の高血圧症とは見なされず薬は始めませんでした。
2)通院に慣れて
それから月に一回~二回の通院で私の診察を受けにきました。2年間ほどきちんと通院しましたが、その間の診察室での血圧は完全に安定しており、100~130/60~80mmHgの範囲に落ち着いていました。ほぼ110台/60台mmHgの正常血圧で推移しました。内服薬はコレステロールの薬だけです。安定した血圧が2年間に渡り続いていました。
3)再び高い血圧
ある日、診察室で私が測ると138/86mmHgと珍しく少し高くでました。患者の話では「しばらく前にジムで測った時に154/86mmHgと高く出たことがありました。その時以来自宅での血圧も上がってしまい家庭血圧も150mmHg位から下がらなくなってしまいました」とのことです。2年前と同じ状況が再び繰り返しました。
患者から確認しますと、最近ジムで高い血圧がでて以来、血圧を測る度に「また高いのではないか?」と不安な気持ちに襲われてしまうそうです。「血圧を測る時にはいつもそんな不安があるので、ジムでも自宅でも診察室でも血圧を測れば高い値になるようです」と患者本人もこの自分の不安感が高くなった原因ではないかと薄々気づいているようでした。2年前の時も同じことが起こっていたのを覚えていました。
4)原因はジム
しかし分かっていても不安は消えないので測る度に高い血圧が計測されるのです。診察室で患者に「自分の血圧が高いのでは・・という不安はもう忘れてください。本当はあなたの血圧はちっとも高くないのです。測る時に不安になるので、その瞬間は高く出るのですが、測り終わればその血圧はすぐに下がっています。見かけ上の高い血圧を心配しないでください」と心を鎮めるよう話します。
ゆっくり静かに話しながら、私がもう一度患者の血圧を測りなおすと今度は112/72mmHgになりました。患者もその数字を見て安心し納得しました。その後では家庭血圧は正常に戻りジムでももちろん下がって正常化したそうです。
なりやすいタイプ
このようにどこかで何かの機会に偶然に自分の高い血圧を見てしまうと、その高い血圧に不安が沸き起こり「これまで低かったのに、どうして高くなったのだろう?、このまま高い血圧が続くと脳出血で大変なことになるかも知れない」等の不安に取り憑かれてしまう人がいます。
そんな不安を持つ人の数は決して少なくありません。珍しくもありません。このような人が「見せかけの高血圧」患者になりやすく、潜在的な「難治性高血圧症」候補と言っていいかも知れません。
何しろ、どこで誰がどうやって測っても血圧を測る行為そのものがこの患者の血圧を上げてしまいますから、測れば必ず高い血圧が表示されます。どんな薬を飲んでも血圧を測れば決して下がりませんから難治性高血圧症と間違っても不思議ではありません。
もし降圧薬を飲むと
このような患者に降圧薬を投与開始すると、測る時以外に血圧はほぼ正常ですから、降圧薬が加われば当然血圧は下がりすぎます。従って「血圧の薬を飲んだらふらふらしたり、元気がなくなったり、めまいがしたり、体調が悪くなってしまった。これはきっと血圧の薬の副作用に違いない」と考えるでしょう。
一面で正しい判断です。患者は薬を間引いたり飲まなくなってしまいます。しかし測れば高い血圧ですから薬を飲まずにこれでいいのか新しい不安がつのります。
血圧の薬は副作用が強くて飲みたくないが、高い血圧の治療をしないのはもっと不安で、どうすれば良いのか悩みます。実際このような患者が当クリニックを訪ねて治療したこともありました。
実際は軽い高血圧症なのですが、測ると180mmHg以上まで上がってしまうので他の医師から処方された降圧薬が強くなりすぎていたのでした。これも「見せかけの高血圧」に薬の治療と言ってよいでしょう。
高い血圧が本物の高血圧症か「見せかけの高血圧」か私達はしっかりと見分けなければなりません。正しく見分けられなければ降圧薬の過量投与になり患者の生活に悪影響を与えてしまいます。薬剤治療に対して反発する気持ちを作ってしまうでしょう。医療に不信感を持ってしまうかも知れません。不幸で残念なことです。
納得で解決する
このように血圧測定への不安や恐怖の状態に一度陥ってしまった患者では、解消するにはその不安が完全に消えなければなりません。高い血圧がでる背景の現象を医師が易しく噛み砕いて説明すれば直前には高かった血圧がその場ですぐに正常近くまで下がってしまいます。
その値を見た患者は「取り憑かれていた物」から解放されたように、以後は高い血圧が出なくなってしまいます。こんな経験を私達は何度も経験します。
心と血圧の関係はこれほど深く密接につながります。高い血圧の値だけを表面的に見て惑わされないようご注意ください。
そして・・・
高血圧の五部作
血圧は高度に自動制御されている:
◆248 高血圧 測る度に違う。どの血圧が本当か?
高血圧にはハッキリと症状がある:
◆239 高血圧 三大症状
急に血圧が上がる理由は?:
◆080 安定していた血圧が急に上がった その原因は?
薬で下がり過ぎることもある:
◆254 高血圧 薬で下り過ぎると危険ですか?
薬でも下がらない訳は?:
◆064 薬を飲んでも、血圧が下りません
高血圧でも、長生きするなら・・:
◆258 高血圧 それでも、長生きできますか?