4月15日は当院開院記念日
4月15日は当院開院記念日です。平成8年4月15日に開院しましたので、今年4月で18周年になりました。ここまで続いてこられたのはひとえに多くの患者さんが私たちを支えてくださったお陰と心から感謝しております。
初代 高橋勝先生
1915年(大正4年)に高橋勝先生が慈恵医専を卒業後まもなく、妻(はな)の地元ここ鹿沼末広町に眼科医院を開業しました。この時から数えると当院の歴史は3代で実に99周年になります。
長きに亘って地元の皆様に支持されてきました。眼科医高橋勝先生とその次男で二代目の内科医高橋和夫先生が、街の方々の病気をしっかり治してこられた実績と信用があったからこそと思います。
古い患者さんが、「自分が子供の時分、今市から汽車に乗って鹿沼駅に着いて、じいちゃんに手を引かれて高橋眼科に通ったよ。帰りは停車場の坂道が辛くてじいちゃんにおぶってもらったよ。難しいと言われた重い目の病気を先生に治してもらった。優しい先生だったよ。柔らかい手をしていた。帰りに「食べな」と言ってそっと飴をくれたんだよ。その後、鹿沼に嫁いでから和夫先生に血圧を治してもらったよ。これで3代の先生に診てもらった」と今だに懐かしく話題にされます。
第二代 高橋和夫先生
高橋和夫先生は鹿沼の街で非常に多くの方から「前に診てもらった事がある」と言われるほどたくさんの患者さんを診察し治してこられました。本当に多くの方々が先生のお陰だったと感謝して下さっています。
専門の物療内科の病気で、当時の木工関係者に多かった米スギ喘息をいち早く発見し確認しその治療を開始したことは臨床の医学者として特筆すべきことだと思います。
更にこの街の内科医として珍しい難病を含む多くの患者さんの治療にも長年活躍されてきた名医でした。
また、地元の医療レベル向上のため、医師会活動を通じ地域の医療の質の向上に大きく尽力されてきました。陰に隠れて見えませんが、この地元への功績は大きいと思います。
第三代 竹田幸一と佳子先生
その二人の名医の重い責任を背負って跡を引き継いだ私たち二人の三代目が、過去の実績と信用を失わないよう努力してきた18年間でした。
何とか皆様に評価して頂いた18年だったと感謝しております。
第四代 竹田陽介と彩子先生
この4月からは息子の陽介先生が四代目として皆様を診療させて頂くことになりました。皆様から多くの事を学びながら、臨床医として実力を磨いていくことと期待しております。
お役に立てますよう精一杯努力すると思いますので、私たち共々陽介先生にも宜しくご指導ご鞭撻をお願い致します。
また彩子先生は現在横浜で消化器内科医として仕事に励んでおります。将来は地域の皆様のお役に立てればと考えております。
歴史的大変動の時期にも、愚直に診療だけに専念
現代は日本を巻き込んだ世界的な歴史的大変動期に入っているように思えます。人類の歴史を見て、これほど大きな政治的社会的な変革は数百年か千年に一度のことだと話す人がいるくらいです。
福島原発問題もそうですが、このような時期に将来を予想することは誠に困難なことです。 しかしあまり余計な想像は巡らさず、この大変動に振り回されず、高橋勝先生や和夫先生がそうしてきた様に、私たちも同じくただただ誠実に愚直なまでにこの街の人々の健康だけを考えながら仕事をさせて頂こうと決意しております。
職員一同、今後共末永く宜しくお願い申し上げます。
平成26年4月15日